今月は、カー側の前面に鎮座するウインカーについて、考えてみた。

そう、”これ何のウインカー?”スタートはここからである。
何はどうあれ、マーキング即ち”点”を打たれた瞬間です。



当初は、コレに近い形のウインカーを見あさりました。
トヨタ プロボックスのサイドフラッシャーなんか、とても良い線が出ていて、アクセントになっている土台ゴムまで含まれています。
しかし、小さいんだよな〜。

GTスペシャル サイドカーのウインカーは存在感がある。
サイドフラッシャーでは役不足なんだよな〜。外車もあたってみるか。

それから2ヶ月。やっぱり当時のウインカーを調べてみよう。

点は次の点へと居所を求めたのです。


*ここからは本文とは関係ないのですが、レンズ関係と言う事で、挿絵ならぬ製作写真をちょい掲載。
  

そんな時に、Mixiコミュの情報交換で、静岡県Oさんからいすゞのエルフ(TLD21)と言う事実を知る。
(後日、これがTLD22だと判明する。)
トラック部品となると、私の専門。そこで、このTLDについて調べてみると、1959〜1968年生産。

キカイダーの放送は1972年からで、コレに使われたGTスペシャル サイドカーが、東京モーターショーで発表されたのが1970年。
カワサキから製作依頼を受けたとして、太陸モーターはそれ以前の製作なので、年代はドンピシャ合致する。

しかし不安も残る。使われたウインカーがいすゞエルフ(TLD22)としても、キカイダーに関して残っている映像や写真を見るに、
明らかに形が違っている物が認められる。

以前、サイドマシーンのリアウイングの中心部分に、縦線が存在するかしないかで、悩んだことがあります。
ウイング製作において、この縦線を加えるか無視するのか。
断言できませんが答えはどちらも正解でした。

キカイダー第一回放送にはこの線は無いようで、2〜3話後にウイング中心部分に、当て木のようなものが施され、次のカットでは当て木に
色が塗られている。
その後にウイング中心部分に縦線が存在していました。

元々、GTスペシャルサイドカーにはウイングは無く、サイドマシーンの為にウイングが取り付けられた。
何らかのアクシデントにあい、壊れたウイングを直したって言う推測です。

撮影用に複数の車輌を製作していたにせよ、補修によって元の形状を変更したにせよ、
使われたであろう、ウインカーに近づこうとする意思が、最も大切な事ではなかろうか。

  

翌日、私はいすゞのパーツセンターに行きます。
若いスタッフに、それだけ古いパーツを尋ねても、帰ってくる言葉はおおよそ予想はつく。

年配のスタッフ。中でも一番の年配で、馬鹿な話を真剣に聞いてくれるスタッフだ。

2〜3人の手が空いたスタッフが、私に部品の発注を促してくる視線を送ったが、電話応対しているMさんの傍らに、無言で立った。
彼が一番の年配者だからだ。

「何か?」
「エルフ 1965〜1970年のウインカーが欲しいのですが」
「ドアが前開きの型かな?」

第一声に、「そんな古いものパーツで出るわけないでしょ」を言わなかったMさんに、私は好感を持った。

「フレームNoは?」
「分かりません」
「・・・・・・。エルフは1970年にモデルチェンジしているので、以前か以降か分かります?」
「分かりません」
「自分が何を買うか分かってないのに、買いにきたんだ」
「自分は何が欲しいのか、教えてもらおうと来ました」

Mさんは笑いも怒りもせずに奥へ行った。

30分ほどして、「これその年式のパーツリスト。」
「これ責任持ってお返ししますので、お借りしていいでしょうか?」
Mさんは無言でうなずいてくれた。

 

40年以上前のパーツが、新品で存在するのだろうか。
実際、トラックのテールランプやライセンス ランプなどは、30年以上前の物が今でも流通しているのは確かだ。

だが、それらのパーツは共通性が要求される部位であって、上記のように取り付け部が車輌に影響されるような部品は、
流通されていないのが事実だ。

 

パーツリストを調べてみると、確かにそのウインカーは存在した。
しかし、疑問も湧いた。

レンズを正面から見てみると、確かにサイドマシーンのそれだが、側面から見てみるとやけに厚みがある。
サイドマシーンのものは厚みとして1.5センチ。いすゞのものは厚みが3センチほどある。

 

テールのウインカーは三連の角型なので、明らかに違う。
ページを進むと、いすゞエルフ バスのテールランプが三連角型の上部に、単独でウインカーが取り付けてある。
パーツカタログが挿絵のために、判別できない。

考えられるのは、昔のレンズメーカーは更なる型を作ると、コストが高くつくので、ウインカーの脚長を変えて台座に
馴染むような加工を施す事があるので、正面から見た姿は同じと言うものが時々あります。

推測するに、コーナーに取り付けられるウインカーを、平面に取り付けるには加工が必要になってくる。
そこで、厚みの有るウインカーを選択し、加工ぶんの余裕を見た。
これが正解ではないでしょうか。

どちらにしてもパーツは、トラックの前面ウインカーと、バスの独立された後部ウインカーの発注に踏み切りました。

パーツセンターでMさんにその旨伝えると、直ぐ脇のPCで品番を入力し「無いな。まっここへ表示されるとは思ってなかったけど、
知り合いの居る各部署に聞いてみるから、時間くれる?」
「宜しくお願いします。」

点と点に、うっすらとした線が描かれた。

そんな騒がしい状況を見て気になったのか、「何やっているの?」と話しかけてくるものもいる。

で、皆口をそろえてこお言う。「そんな古い部品はもう無いやろ」と。
私は、「無いと断言できるのは、探した人間だけが言える言葉であって、探したから無いと言えるんですよ。
探しもしてないあんたが、吐ける言葉じゃない」

場の空気が変わった。
それは私以前に、笑いもせずに手間を掛けて探してくれている、パーツセンターのMさんに対しても失礼な事を言っているのだから。

「探しもしない人間から、無いやろなどと、簡単な言葉で片付くほど、簡単な気持ちでこっちは動いていない。
簡単なお前らが、誰に向かって物申しているのか、家かえって考えてみな。」

自分の身を安全な所に留め、苦悩する人間を見たときに、自らの安心に浸れる。

構う事は無い、そこまで言ってやってもいいのだ。
こおいった輩は、頑張りや意思や人の気持ちが、もっと上にあることに気が付いていない。
こお生きろとは言わないが、人の生き方に水を差すような言葉は慎め。


 

Mさんから、パーツの経過が知らされたのは翌日で。

M 「やはり部品では出てこなかったよ」
SW 「そうですか。違う方法も考えて見ます」
M 「もう少し時間が有れば良かったのですが」
SW 「どおいうことです?」
M 「転勤でね。でも最後に、面白い話に入れて、楽しかったです。あのパーツリストは私物でね、最後に出したパーツから、
25年以上は開く事がなかったかな」

SW 「側に居ながら、今まで話す機会も無かったけど。Mさん転勤してもお元気で。Mさんに探してもらって良かったです。
今回はどうもありがとうございました。」

パーツはきっとどこかの倉庫の片隅で、その存在を知られること無く、私との運命を拒んだのだ。(まだダメだってね。)
でも、今日はとても清々しい気持ちになった。
こうでなくっちゃ探し我意が無い。
こうなると、どうしてもこの手にレンズを持たせてやりたくなる。

次の手段は・・・・・。

当時、ウインカーを制作していた会社を調べてみると、”小糸製作所””スタンレー”の二社が浮かんできた。
この会社に連絡を取って、ウインカーの型が無いか聞いてみよう。

それに、上記の情報網から色よい返事が返ってこない場合は、平行して他にも手を打っておかないと、時間だけを
浪費する事になってしまう。(正確には浪費とは思っていないが、何せ時間を稼ぎたい)

もう一つ、ネットからいすゞに詳しい人物とコンタクトを取って、博物館などに車輌が現存してないか聞いてみよう。

そお言えば、2004年の東京モーターショーに、いすゞからTLD20が出品されていたな。
いすゞのサービスKくんと連絡を取って、どこから借りた車輌か聞いてもらおう。

小糸製作所とスタンレー、いすゞに思い入れのあるブログの管理人2名に各メールを送った。
K君には経緯を話して、いすゞ本社に問い合わせしてもらった。
近場のスクラップ屋さんを、数件回った。回った先で、TLD22が無いか聞き、持っていそうな店を紹介してもらった。

博物館に存在した場合は、レンズの制作と言う方法になるが、レンズを貸し出しなど、してくれるだろうか?
恐らく、「そんな訳の分からない人物に貸すな」を、「貸して事が片付くなら、貸してあげろ」に変えられるだけの決意が必要だな。

押しにかける時間は無駄とは思わない。
何故って、狙っている物は直ぐそこに有るんだぜ。モチベーションが違うってものさ。

そして、小糸製作所とスタンレーから連絡が入り、原型は無いとの事。
ネットからも期待されるような返答は無かった。
スクラップ関係からも色よい返事は無い。

脳裏に、今までぼやけて読めなかった文字のピントが合ってきた。「諦め」。そんな言葉が頭に浮かんできます。
いやいや、そりゃいけない。一人で動いているんじゃないのだから。

でも、人であるいじょう一度だけ諦める選択を、自分にあげよう。
人間が弱い生き物で有るならば、一度だけの猶予を自分にあげよう。

バイクに関して、諦めようと思う気持ちを諦めよう。
造るって事において、最後に与えられた”諦め”は、それを諦めること。

これで私の諦めは使いきった。
残されたのは、答えを導き出す事。叶おうと叶うまいと、納得できる答えが出せるまでやり続けよう。
こんな調子で今までも、乗り切ってきたのだから。

そんな時、いすゞのK君から、「2004年の東京モーターショーに展示された車はいすゞ所有の物でした。神奈川県の藤沢工場に有るようです。
その車輌のウインカーを貸すことは無理ですが、マスター品なら良いそうです」
とうとうたどり着いた。点と点は線で繋がれた。

神様も折れた。

そして、試作部のI氏と交渉し、貸していただく事になったのだ。
マスター品なのでシリコンで外型を取り、レンズを造る作業だ。

事は動き出せば速い。正に、転がる石は止まらない。


 

そして・・・・。到着した。
すぐさま難波氏に連絡を入れ、模り作業。

難波氏も少々興奮した様子。箱の中からウインカーを難波氏に手渡す。

難波氏 「・・・・・・・これ違うんじゃないです?」
SW 「いやいやいや、これでしょう」
難波氏 「いやコレ違いますよ」
SW 「そんなこと無いでしょう」
難波氏 「もっと丸みがあって小判型ですよ」
SW 「いや、あれは違いますよ。私も何かで見たのですが、この形状ですって。きっと撮影中に壊れてしまって、途中ウインカー自身が
交換されたんですよきっと。それじゃベースになったGTスペシャルサイドカーのウインカーを見てみましょう。」

SW 「・・・・・・・・違う」
難波氏 「・・・ですね。」

なぜ?TLD22と聞いていたが、その画像をネットから探すことが出来なかったので、てっきりTLD21の流れだと思っていた。
後日、藤沢工場のI氏から、初代TLD20の販売が1959年〜1967年まで生産。
その後TLD21は4灯ヘッドライトになり、ウインカーは変更されず。

二代目エルフがTLD22となったが、初代は一年のみの生産。従って資料がほとんどないらしいです。
正確に言えば、サイドマシーンのウインカーは、いすゞエルフ二代目TLD22の初期型のみで、その後はウインカーが変更された。

絶望的だ。一年だけ製作された自動車部品を探すなんて。
サイドマシーン製作段階で、ちょうどウインカーの選定に際し、一年だけ制作された部品を選ばれたとは。

サイドマシーンを造ろうと発案した奇跡と、一年だけ採用された数奇なウインカーレンズが、同じ世代で合致した偶然。
繋がった線は消え、もう一つの点も無くなっていた。(神様は初めから私など見ていなかったのか?)


しかし、Iさんはこう付け加えてくれました。
「同じウインカーは、1970年から販売された”ライト エルフ(KA20)”にも使われています。」

私は早速”ライト エルフ”を検索。これがTLD22では比較にならないくらいの情報が得られます。
熊本県から北海道まで。それは様々な都道府県に及びます。

その折、北海道から参加してもらっているKさんから、こちらのほうであたって見ますのお言葉。
なんとも心強い。
いい答えは聞けなかったが、いいんですよ。
確率は10/1か?100/1か?分からないけど、間違いなく9/1か、99/1になりましたから。
これはレンズを手にする為の、引き換え券みたいなものです。

それともう一つ、行き詰まった感があった小糸製作所から、「ウインカーに表記されている数字が分かれば、探せる可能性があります」
勿論、現物が無いので表記番号は分からないが、一つの糸口として調べてみる価値はある。
それより何より、終わった話と流せる話を、わざわざ連絡をしてくれる事に共感を覚えた。

こりゃじっくり腰を落ち着けないと。
ウインカーを探す努力はいま始まったのですから。


いすゞ自動車株式会社様には多くの情報をいただき、とても感謝しております。
また、物造りへの強い気持ちも実感し、貴社への思いも深まりました。
サイドマシーン完成の暁に、ショーへ見に行くと言ってくださったスタッフの皆様。
是非、お待ちしております。

今回はどうもありがとうございました。

SW9638

2009/11/01現在、仲間は24人。応援メール46通。

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