私は毎年2〜3回妻と二人で四国にツーリングに行きます。

毎年2〜3回というのは回数としては多いでしょう?

 

四国には、本州に無い忘れてしまった何かが有る様な気がしてなりません。

 

落ち武者の隠れ家が多かったせいかその峠道は昔のそれ、そのままで

続く道には必ずと言ってよいくらい傍らに川があり、美しい水が流れています。

 

とりわけ私は193号線が気に入っています。

 

 鳴門から南下し吉野川へ、193号線は吉野川から南北に伸びている国道です。

吉野川から20キロほど南へは市街地から郊外へと繋がる雰囲気を持っているが、

神山町から438号線を横切る所まで来ると景色は一変してくる。

 

この箇所から193号から中継点253号へと移行し霊峰剣山へと繋がり、

2000メーター級の山々は下界の生活に慣れ親しんだ私達を楽しませてくれます。

 

車一台交わすのに四苦八苦しそうな道が連続するが、

地元の人も不便だから通行しないというだけあって道は非常に空いており、

背の高い杉林の間から差し込んでくる光がもう一種類の植物の群生のように見えます。

頂上付近にある「雲早トンネル」、地球の回る音を感じ汚されいない風がこめかみから

うなじへとかき分けてくれる。

風が吹き出し一寸先も見えなくなるくらいの霧、

それが雨に変わり雨具を引きずり出した頃には、真っ青な空が雲の切れ間から顔を覗かせ

光線は足元に見える海を反射しそして風が吹き出してくる。

山の天候はこれをワンサイクルとし10分おきに私を異界へと連れて行ってくれる。

通年滝からの水しぶきがその区間だけを湿らせているので、

アスファルトにも関わらず360度目に痛いほどのコケの生す林道。

これを読んでくれている貴方も行きたくなってきませんか?

 

四国は旅人の捉え方も本州とは異なります。

その理由はお遍路さん。巡礼によるところが大きいと思います。

四国への旅が多いのでお遍路さんと接する機会は特別な物でもなくなりました。

ある旅館で「夕食の準備が出来たので広間に来て下さい」と言われ、

嫁さんと二人広間の方に出向くと40人ほどの人がそれぞれ席に着き食事をとっています。

隣の席のおばさんは一目見てお遍路さんだと見て取れる出で立ちで淡々と食事をとり、

私はおばさんに軽く会釈して席についた。

驚いたのはこれくらいの人が集まると中には騒がしいグループが何組かあるものですが

そんな空気がまるで無く、しかし決して暗い時間でも無いのです。

小さな嗚咽が聞こえたので私はその方をちらりと見ると、

先ほどのおばさんが茶碗とお箸を持ったままで泣いています。  

食事という物は生きてゆく約束であり生きてゆこうとする人間の努力であるから

食事は楽しむものだと私は考えます。

或いはそう感じたからそのおばさんは、涙が込み上げてきたかもしれません。

どちらにせよおばさんに何があったのか聞けるだけの器は私には持ち合わせてないし、

まして軽々しく聞けるだけの図太い神経も持ち合わせていません。

ある人は家に帰れない事情が有り5週目の巡礼に入ったお婆さんさんも居ました。

 

しかし最近では深刻な問題を抱え巡礼をしているひとはめっきり減ったそうです。

若い人が大変増えて、これから先何をしたらよいのか、

生きがいを感じられる事とは何なのかを探している人も多いらしいです。

 

今回私は宿泊にオートキャンプ場を選び、バイクだけはエリアが違うらしくそちらのほうに案内されました。

そのエリアには白衣を着た人が一人背中を向けて昼寝中、そして夫婦のライダーが一組。

私は賑やかな状況が苦手なので夫婦の隣にテントを張る事にしました。

 

その夫婦は東京から二人乗りで下道を3日かけて走ってきたそうです。

歳は30半ばか物静かな二人は張ったテントを後、近くにある温泉に出かけました。

バイクから道具を下ろし精算を済ませ私たちが寝床の準備が終わった頃その夫婦は帰ってきました。

「どうですか一杯」彼はバックからジョニーウォーカーを私に差し出し、

傍らの席を寄せ私の場所を確保してくれました。

「キャンプンには渋い酒ですね〜」私は二人の表情を見ながらそう答えたのですが、

気になったのは奥さんのほうでした。

「今回四国は初めてなんですよ」

「そうですか私は年2〜3回来るんですが未だに飽きる事が無いですね。」

私は地図に記載されていない名所や二輪でしか行けない場所など、

おそらくそれに気付くまで気持ちよく喋っていたに違いなかったでしょう。

「そうですか弁護士さんですか」 そういい終わった後私は心臓を掴まれた気分になった。

真新しいオフバイクに30半ばの夫婦が下道を3日かけて四国まで。

話を聞いてみるとどうやら観光ではなさそうで奥さんの表情が再び脳裏に浮かんできた。

懐が浅いと言う表現があるやら知れないが、

あえて言うならそう言うことか。  

しかしこうも考えた。

 

これで良いのではないだろうか。

気を回して喋るよりほろ酔い気分で月の下、

虫の音色をあてに感性で見知らぬ物同士がバイクを通じて思いを交わす。

 

今日、出会った者同士が今日あった事を話しバイクの魅力を確かめ合う。

そして私は無用の詮索をやめ感性で話すことにしました。

月光が霊峰剣山の輪郭を微かに垣間見せ、残り僅かな時間に花を添えてくれたのです。

 

巡礼を通して彼ら彼女らは何を埋めようとしているのか。

そして私はバイクを通して何か埋める事が出来たのか。

 

別れる時の辛さを見越して人とは接しない?  

人はどこかでそれを感じてはいるけれど巡り合わせをどこかで感じているのではないだろうか。

別れるときの辛さより知り合うときの喜びが勝っている事を、

バイカーやライダーは本能で知っているのではなかろうか。

同じ傷みを誰もが持ち、ある者はこれから経験する事だろう。

 

「車よりバイクに乗っているお前がお前らしい」

もう逢うことの無い友へ、安心して下さい俺はこの歳になっても未だバイクの魅力にとりつかれています。

 

「おやじ・・・・・・俺は、あんたが思い描くような大人になったんかな?」

貴方は最後の問いかけに答えてくれないまま俺は40歳になろうとしています。

そして私は今、貴方が唯一知っていたバイク、ハーレーに乗っています。

 

そしていつもの時間を楽しむため私はキックペダルを蹴り鉄の塊に火を入れる。

 

 

 

 

 

 

 

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